特別支援学校は障害者を隔離しているわけではない

気づいたら1ヶ月近く更新していなかった。すぐ忙しくなるけど、少し時間ができたので、この記事について考えてみた。

http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/100718/wlf1007182123000-n1.htm

記事の元になっている資料は

第14回障がい者制度改革推進会議議事次第 - 内閣府

の中の、「資料2」のP18〜20辺りの「2)教育(推進会議の問題認識)」の項目だ。内容は上の記事の通りで、「障害のある子供は原則、地域の学校、それも普通学級で受け入れるようにし、盲、ろうあ者などコミュニケーションに配慮が必要な場合は、特別支援学校に就学させろ」と言っている。そりゃ、特別支援学校の関係者や親は驚くよ。


「障害者」は皆同じじゃない

今回公表された意見書を一通り読んで、気づくことがある。「障害者」を一括りにしているように読めるのだ。一口に障害者といっても、「知的障害」「発達障害」「身体障害」「盲」「聾あ」と、色々ある。これらを複数負ってしまうこともある。ヘレン・ケラーみたいにね。


地域の学校で彼らを受け入れるには、施設面や人員面で非常に負担が大きくなる。障害のない児童生徒の教育をするだけで手一杯の教職員に、機会均等とかインクルーシブ教育とか、理念先行で、障害者の教育もしろ、というのは、どう見てもムリがある。パンクしちゃうよ。


現在のような特別支援教育の制度になっているのは、それなりに理由がある。それぞれの障害の程度に合った適切な指導をするためだ。それを始めるのは、年齢が低ければ低いほどよい。特別支援学校は、最初から設備も整っているし、教職員にもノウハウがある。障害者への教育のノウハウが全くない普通学校の教員に、特別支援学校で現に行われているきめ細かい教育をするのはまず不可能だ。そんな普通学級にいきなり自閉さんやダウンさんを入れたら、健常者も障害者も不幸になるのは目に見えている。


特別支援学校は地域社会から隔絶されているか?

意見書には、

また、特別支援学校は、本人が生活する地域にないことも多く、そのことが幼少の頃から地域社会における同年齢の子どもと育つ生活の機会を失わせたり、通常にはない負担や生活を本人・保護者に求めたり、地域の子どもたちから分離される要因ともなっている。


とある。これが普通学校へ通わせるべき、という理由の一つの拠り所になっているようだ。


これについても、大いに疑問を呈したい。


特別支援学校の子供たちは、居留地校交流という制度で、本来通うことになっている学校の児童生徒と交流することができる。また、交流および共同学習推進事業で、特別支援学校の近隣の学校と、年に数回相互訪問するなどの学校間交流を行っている。


こうした施策は、残念ながらどんどん予算がカットされ、あるいは交流先の学校の授業時間確保のため、中止されたり時間数が減らされたりしている。これらの施策をもっと充実させることで、健常児童生徒の障害者への理解や、地域とのつながりは深まるはずだ。やってみたはいいものの、予算不足で宙に浮くことが目に見えているこの意見書の施策より、よほど低予算で済むし、効果はあると思う。


娘の通う特別支援学校では、学校とPTAが、卒業後地域に帰る子供たちのために、何ができるかを考えている。居住地域の女性団体と交流イベントを行うなど、特別支援学校の児童生徒が地域との繋がりを得られるようにするため、色々なことを考えている。こういった活動への支援や助言を、行政にしてもらうだけでどれだけ心強いだろう。


目を引く施策ではないだろう。選挙の票集めにもならないだろう。だけど、障害者やその親が求めているのは、こういう施策なのだ。言葉尻はいいかもしれないが、実現性の乏しい施策をぶち上げて、ちゃぶ台返しをされることではない。


ちょっと娘の保育園時代の話でも

よく「障害を持つ子供の親が、教育委員会に、地域の学校への進学を要請」みたいなニュースが出る。五体不満足でも、がんばって勉強し、早稲田を卒業したりする人がTVに出ていたりもする。


知的障害がなければ、それでもいいだろう。でも私は知的障害を負った子供の親だから、彼らと同じように自分の子供が普通学校の、まして普通学級に通ったとしたら、絶対不幸になる、と確信している。少なくとも、今娘が見せる笑顔は、絶対消えているはずだ。


そう言い切れるのは、娘の保育園時代があるからだ。


娘の通っていた保育園を選んだのは、職場が近く長期休業の時も預かってくれるから、というのが大きな理由だった。その頃は、言葉は遅いけど、同じ年齢の子供たちと一緒に過ごすことで、言葉も増えるだろう、ぐらいにしか思っていなかった。4歳になって、自閉症との診断を受けるまでの2年間は、日に日に他の子との差が出てくる娘に、苛立った。


自閉症の診断を受けるまでの保育園生活は、娘にとって非常に辛いものだったろう。めまぐるしく変わる日々の生活パターン、日々強制される、お遊戯や歌、水泳やら英会話やら。あの頃娘が発していた奇声や常同行動は、それらから受けるストレスを発散するための、唯一の方法だったはずだ。


自閉症の診断を受けて、担任の先生、保育園の園長、教頭先生と、何度となく話し合った。その保育園は、結構教育レベルが高くて、半数の子供は付属や私立の小学校に進学していたから、正直追い出されることも覚悟していた。


だから、「せっかく縁があって入園したのだから、卒業までお預かりします」という、園長先生の言葉には、救われる思いだった。翌年には、障害児を預かった経験のある先生が担任になった(それまでの先生に理解がなかった訳ではない。その先生には大変よくしていただいた)。保育料を追加負担することにはなったが、加配の先生を娘に割り当ててくれた。娘には難しすぎて嫌がっていた英語やリトミックからは解放された。たったそれだけで、娘は劇的に落ち着いた。


他の子供たちには、先生から娘の障害のことを説明してもらったけど、親御さんには説明しなかった。これが良かったのか悪かったのか、今も答えは出ていない。ただ、年に何度もある授業参観やら、Xマス会などの発表会は、娘だけでなく親にも非常に辛いイベントだった。別に奇異な目で見られていたわけではない。クラスの子にいじめられていたわけでもない(むしろとてもフォローしてもらっていた)。ただ、本来なら自分の子供は、このくらいの成長をしているはず−という姿を見るのが、とても辛かった。だから、同じ思いをすることは間違いない普通小学校への入学は、私たち家族の念頭になかった。


特別支援学校に入学し、トイレの自立、読み書きなど、ゆっくりとだけど確実に成長していく娘を見るにつけ、その選択は間違いではなかったと確信している。


普通学校に行きたきゃ止めないけど

このエントリーを書くためにネットをうろついていたら、http://alfalfalfa.com/archives/417006.html
に、こんな書き込みがあった。以前どこかのスレでも見た記憶があるので、コピペなのかもしれないけど、引用しておく。

普通学級に通学するのが、物理的に困難な障害児の入学をゴリ押しする親や人のニュースを見るたびに、以前に見たドキュメンタリーを思い出す。

サリドマイド児の親のドキュメンタリーだったのだが。
生まれついて重い障害を負って生まれた息子の為に、親は「サリドマイド児の親の会」を立ち上げて、休日は全て会の活動。
「障害者に理解のある社会=息子の為」との強い信念のもと、息子を連れて積極的にマスコミにも出たり、講演活動も行った。
さらに、息子を普通学級に進学させた。息子は重い障害を負いながらも大学に進学。一時は、マスコミにもてはやされた。

が、大学卒業後、障害を負った息子は何処にも就職できなかった。ここで、息子は生まれて初めて本音をぶっちゃける。
「子供の頃から、人前でさらし者にされて辛かった」「休みの日くらい、家族だけで過ごしたかった。家族だけで遊園地や旅行に行きたかったのに」
「普通学級になんて行きたくなかった。手の無い俺が、普通学級でどれだけ不自由で辛く、孤独だったか。
どれだけ、危険で屈辱的(同級生による排泄介護等)な思いをしたか!」と、延々と恨み言を言い出した。

で、親が「何で言ってくれなかったんだ!」と反論したら「言ったが、全て“お前のためだ”で済まされた。
一度だけ、同じ障害を持つ子供たちがいる養護学校に行きたいと言ったら“負けるな”と説教された」
「俺みたいな障害を持った子供が、親に見捨てられたら生きていけない。だから、言いなりになっていた」
「お前たちは“俺の為”と言っていたが、結局は自分たちが社会から注目されてチヤホヤされたかったダケだろう。
養護学校に進学した同じ障害を持った連中は、職業訓練を受けて就職して自立しているのに、親の見栄で、普通学級に進学させられた俺は、就職できなかった」
「俺の障害を受け入れてくれない、見栄っぱりな親のせいで、俺の人生はメチャクチャにさせられた!」

結局、息子さんは親に対する恨みつらみの遺書を残して自殺。最後に親御さんは「もっと息子の気持ちを考えてやれば良かった」
「健常児と同じようにする事が、息子の為だと思っていたが、間違いだった」と嘆いていたな。


確かに、普通学校に通わせたい、と思う親御さんもいるだろう。だけど、障害を負った子供たちは、学問よりもしなければいけないことがある。「自立」するための手段を学ぶことだ。普通学校では、どんな職業に就くか、そのためには、どういう進学をすればいいか、という進路指導をする。特別支援学校では、身辺自立のための手段を学ぶ。それを身につけないまま、親が亡くなり、世間に放り出されたとしたら、それはネグレクト以外の何者でもない。


それでも普通学校に行った方がいいですか? 障がい者制度改革推進会議の皆さん、普通学校に行かせなければいけませんか?


親御さんは、自分のためではなく、子供の立場で、冷静に考えた方がいい。その上で普通学校を選択するのであれば、止めはしない。