震災時の知的障害者の避難生活メモ

我が家の知的障害の娘とその家族が震災前後、どのように行動したか、メモしておきます。本来ならもっと早くまとめたかったのですが、仕事がバタバタしており、今になってしまいました。
今後の参考になれば幸いです。


スペック

私:会社員(システム系)
妻:会社員(経理
娘:13歳、自閉症療育手帳A
居住地:納豆の国


その時家族はバラバラでした

私:PTA副会長として卒業式に参列後、本社で打ち合わせ中に被災。停電のため、システム縮退、停止さらには復電後のシステム点検のため、そのまま2日間家に戻れませんでした。


妻:本社で勤務中に被災。私の車で娘を学童保育から引き取り帰宅。停電のため、そのまま妻、娘、祖母と3人で復電まで車中泊


娘:卒業式後、学童保育へ。そこで昼食後被災。妻の迎えで帰宅。停電のため、復電まで車中泊


まさか本当に使うことになるとは

今回、幸いにも家屋に大きな被害はありませんでした。それでも家の中は様々な物が倒壊し、足の踏み場もない状態でした。避難したのは、私が普段通勤に使用している車。これは軽のキャンピングカーで、3名が車中泊可能(子どもが2人なら、4名が可能)。購入は約3年前。娘を連れて避難所に入ることは難しい、と考え、自衛手段として購入しました。とはいえ、私も妻もキャンプは素人同然だったので、この3年間で少しずつ道具を揃え、実際にキャンプ場や高速道路のPA、道の駅などで車中泊デイキャンプをすることで、経験を積んできました。我が家が購入したのはこちら。決して安くは無かったが、今回のような経験をしてしまうと、高い買い物ではなかった、と確信できます。

http://www.whitehouse.co.jp/camper/newcar/kei/hobiomybox/

今回、実際に避難していたのは、3月11日夕方から12日夕方(復電するまで)の約24時間でした。


購入後、何度もキャンプ場で車中泊の練習を行い、そのたびに不足している機材を買い足してきました。ヒューズが抜けるなどのトラブルもありましたが、ディーラーさんに連絡することで直ぐに解決することができました。購入時から、災害の時の避難所として活用することは考えていましたが、まさか本当に使うハメになるとは、夢にも思っていなかった、というのが本音です。


実際の避難生活

私はその場に居なかったので、後で妻から聞いた話をまとめます。

  • トイレは排水口の側に穴を掘って自作。風呂の残り湯などを使ってしばらくは家の水洗トイレも使用できました
  • カーナビのTVで情報入手確認したところ、電源節約のために、TVはあまり見ていなかったようです。携帯が主な情報入手先だったとのことでした
  • 家の駐車場は少し斜めなので、レベラーで調整しました
  • 夜は全員寝袋。2Fは外と布1枚で1Fに比べて寒いが、-17度用の寝袋を2F用に買っておいたので、問題ありませんでした
  • 1Fはたまにエアヒーターをかけました。本当は常時点火しておきたかったのですが、車の燃料が不足していたため、自重しました。それでもあまり寒くは無かったようです
  • 食料は冷蔵庫内のものをガスコンロで加熱して食べました。幸い水の在庫がかなりあったので、煮炊きには不自由しませんでした。冬場なのも幸いしました
  • 寝るときは上に一枚羽織ればそのまま逃げられるような服装で寝ました。娘はパジャマを着たがったようですが、上にジャージを着させることで最終的には納得してくれたようです
  • 携帯等の充電は備え付けのインバーターから行いました。サブバッテリーが積んであったので、エンジンをかけなくても問題なく充電できました
  • 娘には「宿泊学習なので、いつもと違う」という説明をしました。最初は納得していなかったようですが、全く知らない場所ではないので、何とか宥めることができました
  • インターネットで動画を見るのが大好きな娘ですが、今回はさすがに長時間の避難で動画が見られず、イライラしていたようです


娘を車中泊に慣れさせるためにやったこと

購入後しばらくは、家の前でキャンパー仕様に変形させて、その中で娘を遊ばせておきました。幸い娘は、この車を「新しい遊び場」として認識してくれたようで、日々車に積み込まれる娘のおもちゃは増えていきました。とはいえ、2Fに上がるのは頑なに拒まれました。こうして2Fは私の寝場所と確定することに・・・。


購入後2ヶ月で初の車中泊を実施。場所は高速道路のPAでした。水平をとらなくてもいいこと、水回りがしっかりしていること、いざとなれば直ぐに帰宅できることから、PAを選びました。そこで初めて娘を車の中で一晩寝かせてみたわけです。夏休みの旅行ということで、夜中に家を出て、3時頃にPAに到着。深夜だったこともあり、騒ぐこともなくあっさり寝付いてくれました。


これで娘がこの車で寝ることが可能になったと判断、次は避難所生活で必要な炊事等の道具を揃えて、近くのキャンプ場に実際に宿泊してみました。キャンプ場では、特に娘を外に連れ出すことはせず、好きに過ごさせました。その結果、トイレ以外は殆ど外に出ない、という「引き篭もりキャンパー」となってしまったのは計算外でした。せっかくなので山歩きとかをさせたかったけど、無理に誘うことでキャンピングカー生活そのものを嫌がることになってはまずい、と思い、特に強制はしませんでした。


食事について

偏食の強い娘が食べることができるメニューは、正直なかなか難しく、今でも答えは出ていません。カップヌードルだったり、おにぎりだったり、その時の娘の気分でとんでもないモノを要求されます。アウトドア料理でありがちな焼肉とか、BBQはなかなか食べてくれません。それでも今回は、娘なりに異常事態であることを理解してくれたのか、おにぎりや納豆ご飯などを食べてくれました。


現段階でのまとめ

幸い、ライフラインが比較的早く復旧したため、我が家の避難生活は1日で終了することができました。とはいえ、今もまだ避難所生活を送っておられる多くの方がいらっしゃいます。TVでは何十万もの方が避難していること、原発の30キロ圏内の入院患者を退避させたこと、などが報道されています。しかし、私の地元も含め、知的障害者がどのように避難をしているのか、何に困っているのか、どういう支援を行えばいいのか、については、殆ど報道されていません。


もし拙文をお読みになった方で、被災した知的障害の身内がある方、知人がいらっしゃる方がいましたら、コメントに記入ください。遅ればせながら何かできることが無いか、できるかぎりの支援をしたいと思います。