災害時に障害者は避難所生活ができるか?
先日、災害時の避難生活と障害者をテーマにした講演を聞く機会があった。色々と考えさせられる内容だった。講演は、様々な部位の障害を持つ人の例を取り上げていた。
障害者・家族の「その時」
講演での配布資料によれば、1995年の阪神淡路大震災の際は、
- 視覚障害 「道がわからない」「情報が入ってこない」「針灸の仕事がなくなる」「大変というより、どうしようもなかった」
- 聴覚障害 「手話ニュースが放送中止になり情報源がなくなった」「避難所にFAXがなく、連絡手段がない」「手話通訳が足りない」
- 肢体不自由 「小学校の避難所のトイレには障害者用トイレが無い」「道路の破損で移動が困難」「5日間ほぼ飲まず食わずで過ごす」
- 内部障害(透析など) 「いつもの医療機関で人工透析が受けられない」「透析に使う水や電気が無く、受けられない」
- 知的障害 「母親と2人だったら、判らないことばかりだった」
- 高次脳機能障害 「震災後6年経過してようやく診断」「震災のケガがもとで、人格が変わってしまった」
「あれから10年 障害者・家族のそのとき、今・そして明日へ」より。現在は絶版(?)
とのことだった。
同様に2004年の台風23号水害の際、大きな被害を出した兵庫県北部や京都府北部では、
という実態が報告された。
指定が進んでいない「福祉避難所」
娘が知的障害ということもあるので、以降は、知的障害をメインに考察してみる。
・・・と書いてしまうと妙案があるように思われるかもしれないが、実際、知的障害者とその家族は、どうすればいいか、正直判らない。ググッてみたが、近所には、災害時に解除が必要な高齢者や障害者を受け入れる「福祉避難所」に指定されている施設は存在しなかった。厚生労働省は、2008年6月に「小学校区に1ヶ所程度の指定が望ましい」として設置・運営のガイドラインをまとめたが、実際の設置は進んでおらず、全国の自治体でも23・8%しか指定を済ませていないというお寒い状況だ。
娘が避難所に入ったら・・・
娘と私たち家族が避難所に行ったとして、どのような事が起こるか、想像してみた。
- 異常行動の問題 家族には慣れっこの娘の異常行動(奇声を上げる、チック症状)も、避難所では看過できない。一緒に避難した人たちから苦情が出るのは間違いない。
- 避難所という空間に耐えられない 同じ避難所に入った人が、娘の異常行動に好奇の目を向けるのと反対に、そうした空間は、娘にとってもまた苦痛でしか無い。周りの音声情報などをうまく処理できず、通常ではやっていない「耳塞ぎ」などが出てしまうだろう。また時間の概念をうまく理解出来ないので「いつまでここに居ればいいのか」が判らず、パニックを起こすだろう。
- 嗅覚の問題 娘は時に臭いを異常に気にする。特に魚介類や甲殻類の焼けた臭いがダメらしく、臭ってくると「にお〜い!」といって怒り出す。避難所でファブリーズを撒くだけの余裕は無いだろう。どうすることもできない。
- 順番待ちの問題 仮設トイレの行列は、健常者でも我慢出来ないもの。それでなくても順番待ちが苦手な娘が、何度も我慢できるとは思えない。TDLに行ったときも、乗るアトラクションは、順番待ちが短いものを極力選んでいた。レストランも同様だ。人気アトラクションは、ゲストアシスタンスカードを利用し、待ち時間を行列ではなく別の場所で過ごしてから、乗る方法で乗り切った。こうした優遇は、避難所という施設の性格上、受けることができないわけで・・・。
- 食事の問題 娘は偏食が激しい。避難所で自分のこだわりを捨てて、食事を摂ってくれるだろうか。多分無理。
うん、オラ、欝になってきたぞ!
我が家なりの対策
実は、上記のシミュレーションは、今から3年ほど前、妻と話し合ったことだ。ちょうど中越地震が起きた時だった。
検索下手な私と違い、物凄くコアな情報までググッてくる能力のある妻が探してきたのは、「軽キャン」だった。「軽キャン」とは、軽のキャンピングカーのことだ。
ちょうど仕事で凄まじく残業をしていた時期で、購入の原資はあった。思い切って購入したのが、こちら。
これを購入したことで、少なくとも、寝る場所の確保という問題は解消された。娘は小柄なので、このサイズでも十分に過ごせる。エコノミークラス症候群の心配は無い。簡単な煮炊きもできるし、家族3人なら余裕で収容できる。
で、まず娘をこの車に慣れさせた。思惑は当たり、娘は車の中で自分なりに楽しく過ごす方法を構築したようだ。ぬいぐるみやアクセサリーで車内を飾り立て、それを眺めては悦に入っている。
次の段階は、この車の中で寝ることができるかだ。いきなりキャンプ場に行くのは、キャンプ初心者の私たち夫婦では敷居が高すぎる。そこで、高速道路のSAで車中泊を何度か体験させた。親の心配をよそに、意外なほど呆気無く、娘はこの車の中で寝ることを受け入れてくれた。
最後は近所のキャンプ場で過ごしてみた。聴覚過敏な娘は、虫の声が気になって仕方がないようだったが、何とか折り合いを付けてくれた。しかし、車の中が楽しいらしく、折角キャンプ場に来ても、食事や風呂(近くの温泉)に行く時以外は、車から出てこない。こうして稀代の引き篭もりキャンパーが誕生したのだった・・・。
残された課題
とにかく災害時の避難生活はストレスが溜まるだろうことが容易に想像出来る。知的障害者なら、尚更だ。避難生活が長期化しても、少しでも快適に過ごせるように、軽キャンというガジェットを用意した訳だが、現時点ではかなりストレスを軽減できると考えている。辛い避難生活を、少しでも楽しくしたい。そんなコンセプトは、取り敢えず具現化できた。
しかし、これはあくまで寝床を確保したに過ぎない。トイレの問題、食事の確保の問題、その他実際に避難生活になってみないと判らないことは、山積している。
講演では、「普段のつながりが生きてくる。地域づくりが何よりの防災」というのが結論だった。その言葉が、今娘の通う養護学校のPTA活動で取り組んでいる「地域との繋がりを強化しよう」という活動と、綺麗に結びついた気がした。
知的障害を持つ児童生徒は、本来通うべき学校ではなく、遠方の養護学校に通っている。しかし卒業後は自宅のある地域で生活しなければならない。娘が卒業後、地域に戻る時、娘のような知的障害者の現状を知っており、気にかけてくれる人が少しでも居てくれたら、という思いから、この活動はスタートしている。
それが、災害弱者たる知的障害を持つ娘を救うことにも繋がる・・・。その考えは無かった! PTAでこの取り組みを始めてよかった〜と思った瞬間だった。
養護学校のPTA活動で取り組んでいる「地域との繋がりを強化しよう」という活動については、後日改めてエントリーをまとめたいと考えている。